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Story Vol.22

能登の土、珪藻土

能登島を拠点に創作活動をおこなう奈良雄一さんが出会った地元の素材、「珪藻土」。
ローカルな素材や技術を学び、日々の生活を豊かにするデザインを心がける奈良さんの素材への想いと、時計へのアプローチについてお話いただきました。

「文: 奈良雄一」

能登島大橋から能登島を眺める
 
2007年に能登半島の中ほど、七尾湾に浮かぶ能登島という島に移住してきました。離島ではなく本土から二本の大きな橋がかかり、対岸を本土とは言わないくらいに普通に車で往来のある島です。島にかかる一方の橋「能登島大橋」を渡る時、アーチ状になった坂道を登りきった橋の頂上からは島の全景が見渡せ、初めて島を訪れた時にはその景色に思わず感嘆の声をあげたことを覚えています。これまで幾度となくこの橋を通ってきましたが、毎回目にするのは両側に広がる青い海、島の木々の緑、そして所々海から切り立った岩肌が顔を出す生成りがかった大地の色です。この岩肌の土こそが珪藻土と呼ばれる土だと知ったのは移住してしばらく経ってからのことでした。

珪藻土の地層が露わになっている能登島の岸壁
 
デザインと建築設計を行っている私は、移住後自邸を建築するにあたり、能登で使われている材料や技術を調べていました。そこで左官壁の仕上げ材料として使われている珪藻土という土があることを初めて知りました。また能登島のみならず、能登半島全域に珪藻土の地層が広がっていること、さらに珪藻土とは植物性プランクトンである珪藻という藻類の一種が海底に堆積して化石化した土で、多孔質のために調湿機能があり、かつ断熱性にも優れていること。能登では昔からその性質を活かして七輪やコンロが作られてきたり、その他にも輪島塗の下地や鋳物の型として使われたり、実に様々な利用のされ方をしており、能登の生活や文化とも深く関わりがあるということも徐々に分かってきたのです。

壁材としての珪藻土を塗る左官職人
 
珪藻土は珪藻質の殻から生じた微細な孔が無数にあいた構造をしており、化石化して土になった後もその形を残しており、珪藻土を人間が掘り出し、高い温度で焼成することで不純物が取り除かれ、その微細な孔に空気や水蒸気が出入りすることができるようになります。そのため調湿機能があり、かつ断熱性にも優れているというのが珪藻土の最大の特徴です。もともと冬も湿気の多い気候の能登では、左官壁の材料としてその調湿機能を期待されて近年多く利用されてきました。表面積を増やすために、あえて珪藻土の質感を露わにした荒いコテの跡を残した塗り方をされたり、見た目にも凹凸のある柔らかい雰囲気が好まれています。

珪藻土で作られた七輪
 
七輪(しちりん)は珪藻土の断熱性を活かした調理用の炉で木炭を燃料に使用します。木炭の熱が外部に漏れないので炭の発火がよく、とても効率的に調理をすることができます。七輪の外側は熱くならないので持ち運びも簡単にできます。バーベキューの際金属製のコンロ等と比べてみるとその差は歴然で一度使うと手放せません。この七輪も能登では古くから珪藻土を使って作られてきたそうで、昭和に入り能登の地域で生産が始ると爆発的に売れたのだそうです。

珪藻土の時計 掻き落とし
 
そんな珪藻土という素材にどんどん魅了されていった私は、自分も珪藻土の特性を活かしてものづくりをしたいと思うようになりました。とりわけタカタレムノスで時計のデザインを行っていた私は、悠久の時を経て大地によって作られた珪藻土という土が時計の素材として形になり、インテリアの中で表現されることが、珪藻土の新たな価値を生むのではないかと想像し、それを実現できたらと思いました。幸運にも近く金沢で左官の技術を活かして珪藻土の商品開発を行う会社soilとの出会いがあり、その思いは実現されることになりました。soilの左官技術により非常に洗練され、優しい表情に仕上がった「珪藻土の時計」ですが、その時計は能登の大地が育んだ珪藻土という素材で作られていることを是非知っていただき、その風景と珪藻土が造られるに至った長い年月とに思いを馳せていただけたらと思います。

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Yuichi Nara

1977年東京生まれ。1999年横浜国立大学建設学科卒業。2000年渡伊。ヴェネツィアでガラス工房、建築事務所勤務を経てデザイン活動を始める。2006年ヴェネツィア建築大学卒業。旅行で訪れた能登の自然と生活の豊かさに触れて帰国を決意。能登島に移住する。2007年能登デザイン室を設立。ローカルな素材や技術を学んで活かし、日々の暮らしを豊かにするデザインを心がけている。デザイン活動の傍ら不耕起地の田圃を借りて米づくりも行なっている。